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130年の歴史『海軍料亭「小松」全焼』連合艦隊の書物も火災!〈惜しむ声まとめ〉



神奈川県横須賀市米が浜通の料亭「小松」が全焼しました

創業明治18年といいますから約130年の歴史があり

戦時中は旧海軍横須賀鎮守府が近くにあったことから歴代の海軍幹部に利用され『海軍料亭「小松」』や小松の「松」から『パイン』の愛称で親しまれ

料亭「小松」店舗内には海軍幹部の書や遺品を多く所有し、小松1階の洋室で一部を展示し、多数保管していたといいます

このページでは

「小松」火災で全焼!惜しむ声まとめ
▼海軍料亭『小松』130年の歴史


について説明します


神奈川県横須賀市米が浜通の料亭『小松』火災 写真・読売新聞







▼「小松」火災で全焼!惜しむ声まとめ


神奈川県横須賀市米が浜通の料亭「小松」木造2階店舗延べ約1320平方メートルが全焼した。

16日午後5時10分ごろ、神奈川県横須賀市米が浜通の料亭「小松」の建物から火が出ていると、通行人の男性が119番した。

横須賀市消防局によると、女性1人が煙を吸って病院に運ばれた。

ケガの程度は不明。

横須賀署によると、16日は定休日で客はいなかった。

消防と警察で詳しい出火原因を調べている。

◆海軍料亭「小松」

横須賀市や市史によると、米が浜通の料亭「小松」は1885年(明治18年)創業で、多くの海軍軍人が利用していた

小松は同市に旧海軍横須賀鎮守府があったことから歴代の海軍幹部に利用され「パイン」の愛称で親しまれた。

連合艦隊司令長官・山本五十六らにひいきにされていたといい

山本らの書や遺品を多く所有し、小松1階の洋室で一部を展示していた


山本五十六らの書や遺品の一部を小松1階の洋室で展示していた 写真・Wikipedia


高官らの筆による書も多数保管されていた

横須賀市史は「日本海軍の歴史をたどるうえでも重要な遺構」と位置づけていた

◆海軍料亭「小松」出入りした旧海軍の高官

【連合艦隊司令長官】
東郷平八郎
山本五十六

【元首相】
米内光政

【海軍大将】
井上成美

などの旧海軍の高官が出入りしていたことで知られ、「小松」は海軍料亭として親しまれていた

◆海軍料亭「小松」全焼を惜しむ声

海軍料亭「小松」の経営者の家族という女性は、火の回りが早く「店内にあった高官直筆の掛け軸などは持ち出せなかった」と言葉少なに語った。

地元の町内会長・織裳俊雄さん(75)は「歴史的な場所。掛け軸などがどうにか残っていてほしい」と話した。


小松が所有していた掛け軸 写真・Wikipedia


近くに住む元従業員の女性(60)は「小松の社長さんは『定休日でお客がいなくて良かった』と気丈に振る舞っていた」と語った。

近所のマンション管理業の女性(70)は「歴史があり、海軍の将校が宴会や接待で使った場所。まさか火事になるとは思わなかった」と話した。

自衛隊の制服組トップで海上自衛隊出身の河野克俊統合幕僚長は、横須賀勤務時代に店を訪れていたといい、取材に対し「伝統が一つ消えた思いで、言葉もない。旧海軍関係の貴重な資料も保有され、海自に受け継がれたよき伝統の象徴だった」と残念がった。

海上自衛隊の第2術科学校(横須賀市)の校長も務めた海上自衛隊の元海将で金沢工業大学虎ノ門大学院教授の伊藤俊幸さん(58)は20歳代だった初級幹部時代、上司に連れられて初めて小松を訪れた。「一人前になったと認められたような気がした」と懐かしみ、火災のニュースにショックを受けていた。
読売新聞より出典







▼海軍料亭「小松」130年の歴史




火災で全焼する前の料亭「小松」新館 写真・Wikipedia

小松は1885年(明治18年)8月8日に、創業者山本コマツによって横須賀田戸の白砂青松の海岸沿いに開業した。

開業当初は白砂青松の海岸で海水浴を楽しんだ後に、入浴と食事を楽しむ割烹旅館であったと考えられるが、日本が海軍力の増強に努め.横須賀鎮守府の機能が拡大していく中で、海軍軍人相手の海軍料亭になっていった。

小松を利用する海軍軍人たちは、小松の松にちなんでパインと呼ぶようになった。
小松が立地していた田戸海岸は、1913年(大正2年)に埋め立てが行なわれたため、小松は海岸線から離れてしまい、白砂青松の景勝地に立地しているという魅力を失った。

その上第一次世界大戦終了後の恐慌と、恐慌に伴い横須賀市で発生した娼妓の待遇改善を求めるストライキのため、1918年(大正7年)から1919年(大正8年)頃、いったん休業せざるを得なくなった。

1923年(大正12年)になって、当時は風光明媚であった現在の米が浜の地に新たに店舗を建て、小松は営業を再開した。

第二次世界大戦時には、第四艦隊司令長官の井上成美の要請により、1942年(昭和17年)から1944年(昭和19年)にかけて、トラック諸島に支店であるトラック・パインが開設された。

1945年(昭和20年)8月15日の終戦後、小松はいったん閉店され、横須賀に進駐した連合軍によって横須賀鎮守府から退去させられた鎮守府関係者の残務整理のための事務所や、外務省通訳の宿舎となったが、1945年(昭和20年)10月にはGHQ指定料理店となり、横須賀に進駐した主に米兵相手の飲食業を営むようになった。



火災で全焼する前の料亭「小松」の長官部屋 写真・Wikipedia



1952年(昭和27年)のサンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約が発効後は、小松は横須賀海軍施設の米海軍軍人、そして海上自衛隊、旧海軍関係者らに広く利用されるようになった。

現在もかつて横須賀市内に多数存在した海軍ゆかりの料亭の中で唯一営業を継続しており、大正、昭和初期の近代和風建築を今に伝えるとともに、東郷平八郎、山本五十六、米内光政らの書など、多くの日本海軍関係の資料を保有していて、料亭小松は近代日本海軍の歴史を伝える重要な存在となっている。
海軍料亭「小松」Wikipediaより





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