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光GENJI解散コンサート!諸星和己がステージで土下座した本当の気持ちと現在!



1995年、光GENJIの解散コンサートで、舞台で土下座する諸星和己さん。金の紙吹雪が体にまとわりついている。この写真はコンサート会場で友人が撮影


ローラースケートを脱ぎステージで土下座する諸星和己さん

これは21年前の光GENJIの解散コンサートでの一幕。

諸星和己の最後のシーンでローラースケートを脱ぎ、舞台で土下座をした時の写真です。

ファンの方に解散を謝罪しているわけではなく、ステージに対し「自分はステージを一度離れ、旅出たせていただきます」という気持ちをこめていました。

この時はもうこの業界に戻るつもりはなく、ニューヨーク行きも決めており、自分のもっとも輝かしい瞬間でした。

やりきった達成感と共に、新たな人生を歩み出す期待感に満ちていましたね。

光GENJI時代の気持ちを語るのは難しいですね。

諸星和己自身は特に歌をやりたかったわけではないのに、アイドルグループを組むことになり、何が何だかわからぬうちにてっぺんをとった。

俺たちが動けば株価が変わり、当時の総理大臣からサインを頼まれ断ったことさえある。

近づいてくる大人には不信感を抱き、他のグループと舞台に出れば、「俺たちがセンターだ。周りは上手に盛り上げろよ、それが互いの利益だ」なんて勘違いもしてね。

そりゃ、自分がわからなくなりますよ。13歳からこの世界に入り、10代で多くの人が経験するような野球やサッカーに夢中になったり、かわいいと思った女の子のスカートをめくったり、そういう普通のことを全く経験せず来ちゃったので。

解散理由は、燃えつきたこともありますが、諸星和己の一番の理由は、一度の人生だから違うこともやってみたいと思ったこと。

ずっと「次はどこに向かえばいい?」と走っていたら行き止まりになり、追い込まれていた。だから新生活をスタートしたくなったんです。

解散後は毎日が「新鮮な挫折」の連続でした。自販機でのジュースや切符の買い方も分からない。デパートでエスカレーターに乗る時もどちらの足から出せばいいか慌てる。

そんな状況なので、かえって何もわからないニューヨークに渡り、普通の生活を一から始めたわけです。実はもう二度とスケート靴ははかないつもりでした。

スケート靴を見るたび嫌なことばかり思い出すので、遺言にも棺おけに入れないでと書いたぐらい。

でも30代、ある出来事で気持ちが変わった。当時ニューヨークではローラーブレードが流行し、諸星和己が毎日行っていた公園で子供たちが練習していたんですね。

それがすごく下手だったので、見本を見せてあげたら、「もっと教えて」と1ドル札を渡されたんです。

その時その重みにびっくりしてね。自分たちは何千億円を稼ぎ出したグループだったのに「何だろうこの1ドルの重みは」と。

お金を稼ぎだすことを肌で感じた瞬間でした。それ以降、要望があればスケート靴を履かせてもらっています。

またアイドル時代から、人に対して一線どころか何線もひいてしまうクセがあったけど、40歳になった頃、ようやく人と打ち解けて「情」が分かるようになったかな。

ニューヨークで生活したことが諸星和己を成長させてくれたと思っています。

今、この写真とスケート靴を自室に飾っていますが、最近はこの写真が「ただいまステージに帰って参りました」と言っているように見えています。



▼諸星和己


もろほし・かずみ タレント 1970年生まれ。87年に光GENJIとしてレコードデビュー。

95年に解散後ソロ活動を開始。

2001年に渡米。

現在はニューヨークを拠点にミュージカル、映画、ドラマ、バラエティーに加え、ライブ活動も行っている。
写真・出典 asahi.com



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