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〈特攻の母〉島濱トメの生涯

ペナルティのワッキー(43)と江守沙矢(27)寺田安裕香(22)が23日、出演舞台「MOTHER マザー~特攻の母 島濱トメ物語~」(24日初日、東京・新国立劇場)について語った。


特攻隊員久保田利雄役で敬礼するペナルティーのワッキー(中央)。左から江守沙矢、(1人空けて)寺田安裕香 写真・出典日刊スポーツ

『特攻の母 島濱トメ』とはどんな人物だったのか説明しよう。



『特攻の母 島濱トメ』

 1902年(明治35年)、鹿児島県川辺郡西南方村(現在の南さつま市)生まれ。

18歳で旧家出身の鳥濱義勇と結婚し、結婚から10年後、島濱トメ27歳の時に富屋食堂を開業(1929年(昭和4年))。

1942年(昭和17年)富屋食堂が陸軍の指定食堂になったため、陸軍知覧飛行場の飛行隊員が訪れるようになった。富屋食堂が陸軍の指定食堂になって3年後の1945年(昭和20年)神風特攻作戦が始まる。

島濱トメは知覧飛行場から出撃する特攻機の見送りを続け、特攻隊員が憲兵の検閲で通常なら家族には届かない手紙を島濱トメに託し、島濱トメは手紙を代理で投函したほか、個々の隊員の出撃の様子を自ら綴った手紙を全国の家族のもとへと送り続けた。

1945年(昭和20年)、終戦後、警察署長から進駐軍の富屋食堂への出入りを懇願されるが、島濱トメはそれを固辞する。

しかし、町が主催する進駐軍の歓迎会が島濱トメの富屋食堂で開かれたことをきっかけに米軍兵士が富屋食堂に出入りするようになり、生来の面倒見の良さから米軍兵士からも「ママさん」と島濱トメは親しまれた。

1952年(昭和27年)、「神風特攻隊が飛び立った知覧飛行場を訪れる遺族のために」と富屋食堂を旅館として改装開業。

1955年(昭和30年)、かつて島濱トメの担任教師でもあった当時の知覧町長に再三働きかけたことにより、旧知覧飛行場の一角に特攻平和観音堂の建立が実現し、その観音堂参りがその後の島濱トメのライフワークとなる。後に隣接して知覧特攻平和会館などが観音堂の周辺に建設されることとなる。

1992年(平成4年)島濱トメ死去。享年89

2001年(平成13年)、かつての富屋食堂が「ホタル館」として復元され、神風特攻隊員の記念館となっている。現在はトメの孫である鳥濱明久がの経営している。



舞台は、第2次世界大戦末期、鹿児島県知覧町にあった基地の特攻隊員が出撃直前に訪れた富屋食堂を経営していた島濱トメさんの波乱に富んだ半生を描く。

なおこの舞台ほ昨年11月に死去した阿藤快さん(享年69)の遺作舞台でもある。



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