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真田昌幸と武藤喜兵衛なぜ名前を変えた?

NHK大河ドラマ『真田丸』4話で徳川家康が真田昌幸に『三方ヶ原の戦いでは武田軍に散々に負けた。その時に大活躍した武田軍の武藤喜兵衛なる武将を知らないか?』と聞き、真田昌幸が『存じません』と答えるシーンがあった。

このシーンの少し前に真田昌幸と次男真田信繁との会話で武藤喜兵衛は真田昌幸の過去の名前だと言うことに触れていた

もちろん大河ドラマ『真田丸』のなかの徳川家康も武藤喜兵衛が目の前の真田昌幸だと知っていたのだが真田昌幸は平然とシラをきった。







なぜ真田昌幸は武藤喜兵衛と名乗っていたのか?そのことについて説明しようと思う



真田昌幸は三男で上に2人の兄がいた。したがって真田家の家督は兄が継ぎ三男の真田昌幸は武田家への人質として武田信玄に仕えていた。

当時の武家社会は、家を継ぐ男子の存在が大事で家に男子が産まれなければ『お家存続の危機』となった、そこで男子の無い家は他所から養子を貰い家督を継がせた。

真田昌幸も武藤家に養子に行き、『喜兵衛』と名乗った。大河ドラマ『真田丸』のなかでは『喜兵衛』の名付け親は武田信玄となっていた。

『武藤喜兵衛』と名乗るようになった真田昌幸であったが『長篠設楽原の合戦』で2人の兄を亡くし、真田家の三男である『武藤喜兵衛』に真田家の家督が回ってきた、そこで再び真田昌幸と名乗るようになったのだ。






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