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映画『さらばあぶない刑事』キャスト紹介

2016年1月30日から映画『さらばあぶない刑事』が公開される。


『さらばあぶない刑事』の主なキャストは、舘ひろし(65)柴田恭兵(64)浅野温子(54)中村トオル(50)と四半世紀以上前と変わりない。



映画『さらばあぶない刑事』ストーリー



定年退職まであと5日となった二人に立ちはだかるのは、横浜を牛耳ろうとする凶悪な中南米マフィア。命を賭けた壮絶な戦いの火蓋が切って落とされる。シリーズ最強最悪の敵を前に、タカとユージは「さらば」とのタイトルの通り、ついに殉職となってしまうのか!?



『あぶない刑事』の経歴



あぶない刑事は1986年10月にテレビで放送開始した。

テレビ放送開始時は毎週日曜の半年間で終了予定であったが回を重ねるごと人気を集め、さらに半年間の延長をし、結果1987年9月までの1年間放送した。

その人気冷めぬまま劇場映画『あぶない刑事』が1988年正月に公開され15億円の収益を記録する大ヒット作となった。

その後は
1988年、映画第2作『またまたあぶない刑事』
1988年、テレビ第2作『もっとあぶない刑事』
1989年、映画第3作『もっともあぶない刑事』
1996年、映画第4作『あぶない刑事リターンズ』
1998年、『あぶない刑事フォーエヴァー』
前編を『TVスペシャル98』でテレビ放送
後編を映画第5作として公開
2005年、映画第6作『まだまだあぶない刑事』
2016年、映画第7作『さらばあぶない刑事』
と忘れた頃にやってくる方式で公演を続けている。
今回の映画『さらばあぶない刑事』は第7作目になりシリーズでは10年ぶりの映画になる。








【主なキャスト紹介】



舘ひろし
柴田恭兵
浅野温子
中村トオル
ヒロイン菜々緒
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【舘ひろし】




【本名】舘 廣(たち ひろし)
【生年月日】1950年3月31日(65歳)
【出生地】愛知県名古屋市中区
【身長】181 cm
【血液型】A型
【職業】俳優・シンガーソングライター
【活動期間】1975年(25歳)~

【主な作品】
○テレビドラマ
『西部警察シリーズ』『あぶない刑事シリーズ』『ゴリラ・警視庁捜査第8班』『刑事貴族』『代表取締役刑事』『愛しの刑事』『功名が辻』『パパとムスメの7日間』『隠密八百八町』『坂の上の雲』『なるようになるさ。』

○映画
『暴力教室』『男組 少年刑務所』『皮ジャン反抗族』『薔薇の標的』『あぶない刑事シリーズ』 『青い山脈'88』『免許がない!』『義務と演技』
○テレビアニメ
『ゴルゴ13』



【舘ひろしの経歴】



名古屋市立新栄小学校

舘ひろしのあだ名は『どんくさ舘』

先祖は尾張藩の武士で、旧士族の家柄。代々の住まいは徳川家から拝領した「徳川家の離れ」だった。実家は明治期に父が開業した舘医院(現在は、実弟が家業の医院を引き継いでいる。)で、父親は内科医。小学生時代は鈍臭かったため、当時は「どんくさ舘」と呼ばれていた。

名古屋市立白山中学校

愛知県立千種高等学校

千葉工業大学工学部建築学科中退。

舘ひろしは高校時代にラグビー部の主将を務める。千葉工業大学に入学し大学寮に入るがその厳しさに夜逃げした。デビュー後も同大に長らく在籍したままだったが、中退した。



【クールス誕生・脱退・俳優へ】
『硬派バイクチーム・クールス誕生』



飲食店で食事をしていた岩城滉一に舘ひろしが歩み寄り、身構えた岩城滉一に「あのバイク、君の?」と話しかけ、バイクの話題で意気投合する。当時、舘ひろしはバイクの免許を持っておらず、岩城滉一のバイクに二人乗りして教習所に通った。

東京原宿表参道を拠点にした1974年12月、舘ひろしをリーダーに、岩城滉一をサブリーダーに、および岩城滉一の学生時代からの友人であった佐藤秀光らで結成されたモーターサイクルチームがクールスの原点。

結成に際して「このチームはリーダー(舘ひろし)の独裁により運営される」という血判状を作成した、舘ひろしはカワサキのZIIに乗っていた。

チーム結成当時の人数は21人で、全員リーゼント・黒の革ジャンパー・黒または青のジーンズ・黒のオートバイで統一される(「黒」にこだわったのは、舘ひろしが学生時代に、ラグビー部の主将をしていて、「オールブラックス」が好きだったから)。

1975年4月13日、矢沢永吉率いる「キャロル」の解散コンサートで親衛隊を務める。これは矢沢永吉が舘ひろしに演出を持ちかけた。

キャロルの解散コンサートを収録したDVD(一部カット編集)にはバイクチーム時代のクールスの走行場面が映っており、また、岩城滉一がキャロルとの思い出を語ったり、舘ひろしがキャロルメンバーにインタビューしたりする場面などが収録されている。この活動によりクールスは一躍脚光を浴びた(キャロルよりクールスを観ていたという客がいたほど、当時は芸能人ではなかったにもかかわらず、注目されていた)

「クールスはキャロルの親衛隊」であったが、個々の交友や接触はあったものの両者は対等な関係であり、また当時はあくまでロックバンドとそれを支持するバイクチームの関係であった。よって「クールスはキャロルの弟分バンド」「矢沢永吉は舘ひろしの兄貴分」という認識は誤りであり、またその後のクールスの音楽性もキャロルとは異なるものであった。

BUCK-TICK、藤井フミヤなど、その影響を受けたミュージシャンは数多くいる。



『バンド・クールス誕生』



舘ひろしはバンド結成については否定的であったが、熱心なキングレコードの若手社員に説得され、「チームのメンバーを食べさせていくため。」として、バンド結成を決意する。

キャロル解散後の1975年9月、チームの中から選抜された7名とバンド結成から参加の大久保喜市の計8名で、アメリカンロックンロールバンド「クールス(COOLS)」としてシングル「紫のハイウェイ」でデビュー。その際、岩城滉一は参加しておらず、そのまま俳優となった。岩城が参加しなかった理由は、すでに俳優としてデビューすることが決定していたからであった。

結成メンバーは以下の8名。()内は担当楽器/ニックネーム。

舘ひろし(ボーカル/ボス)
水口晴幸(ボーカル/ピッピ)
村山一海(ボーカル/ムラ)
ジェームス藤木(リードギター/ジェームス)
飯田和男(サイドギター/フランク)
大久保喜市(ベースギター/キイチ)
佐藤秀光(ドラム/ヒデミツ)
梅村光男(ギター/社長) ※結成後、すぐに脱退した。

キャロルが、ビートルズを手本とした8ビートのブリティッシュロックンロールだとすればクールスは、4ビートのアメリカンロックンロールであり、舘が手本に考えていたのはアメリカンロックンロールバンドのシャ・ナ・ナ(Sha Na Na)であった(それは舘・水口・村山の三人ボーカルにも表れている)。

バンド結成時のメンバーは、リーダー舘ひろしがバイクチーム内から音楽・楽器の経験者を選抜した。



【クールスと俳優そして脱退】



キングレコードから『黒のロックンロール』『ロックンロール・エンジェルス』『東京直撃』『ハローグッドバイ』の4枚のアルバムを出す。

当時の東映社長・岡田茂に誘われ舘ひろしは東映に籍を置き、『東映俳優センター』に所属、俳優『舘ひろし』としてのキャリアもスタートさせ1976年、松田優作主演の『暴力教室』に出演した他、同年『男組 少年刑務所』で映画初主演(但し、『暴力教室』にはメンバー全員出演しているが『男組~少年刑務所』には後述の理由で、水口とジェームスは出演を拒否している)。

その後1977年4月リーダーの舘ひろしが脱退。後に大久保が出版した「ストレンジブルー」によると、映画の主演はあくまでも舘ひろしであり、その他のメンバーは脇役という状況に、またリーダーとしてすべてを握る舘ひろしに対し他のメンバーから反感が出はじめ、そのほかでも映画やマスコミに出たい舘ひろしと、純粋に音楽だけをやりたい他のメンバーとでズレが出て、次第に血の結束を誇ったクールスでも「舘ひろしVSメンバー6人」で修復不可能な亀裂が生じてきたことが舘ひろし脱退の原因、および水口・ジェームスが舘ひろしに対しての反感から、舘ひろし主演の映画出演を拒否した理由らしい。

舘ひろしは脱退後キングレコードに残り、「舘ひろしとセクシーダイナマイツ」を結成。その後ソロとなり、ソロデビュー時には"太ったブタが勝つか、しなやかな狼が勝つか"とのキャッチフレーズでプロモーションに打って出て、矢沢を挑発するものとして話題を呼んだ。

舘ひろしは、そのまま俳優として東映に所属、1978年には『皮ジャン反抗族』、1980年『薔薇の標的』と東映で計3本の主演映画が製作された。これらの映画は暴走族のイメージがあるクールスを引きずり、また実際に舘ひろし本人の趣味でもあったため、オートバイを駆使する姿が舘ひろしのトレードマークとなった。

『西部警察』シリーズでの登場をきっかけに渡哲也と出会い、最初、舘ひろしはハーレーダビッドソンを駆使する無頼漢的キャラクターの巽総太郎(愛称「タツ」)役で登場していたが、番組初回から半年間の出演契約となっていたために、半年後の第30話で西部署で舘ひろしは最初の殉職刑事となり一旦降板している。

西部警察の撮影初日、東映時代から愛用している舘ひろしの黒いディレクターズチェアを石原裕次郎、渡哲也のディレクターズチェアの横に置いたところ、石原から「10年早いな」と言われ、周囲のフォローを無視して「時代が違いますよ」と舘ひろしが反論すると、石原は「悪かったね。時代が違うんだ」と笑って理解を示した。



石原プロモーション入り



1981年、第109話「西部最前線の攻防(前編)」から、先に殉職した巽刑事(舘ひろし)役とは別人のスズキGSX1100Sカタナを愛機とする特別機動車両隊隊長の鳩村英次(愛称「ハト」)役で再登場し、1983年、舘ひろし自ら志願して石原プロモーションへの入社を果たし『西部警察 PART-III』の最終回まで出演していた。西部警察に出演して学んだ事は「共演する事で石原裕次郎、渡哲也という2人の映画スターを先生に持てた事で受けた影響は強い」と語っている。

石原プロモーションに入ったきっかけは、社長の石原裕次郎ではなく渡哲也への憧れからであった。渡には『西部警察』放映時の頃から気に入られており、同番組の地方ロケで宿泊したホテルでの飲み会で、他の皆が御開きにした後も舘ひろしは渡哲也に勧められるままに、明け方まで一緒に杯を交わしたという。

石原プロモーションでは同い年の神田正輝と共に同社取締役を務めていた。入社の際に渡から、「お前は、渡プロに入ったんじゃない!石原プロに入ったんだから!」と訓告を受けた。渡を心から尊敬しているゆえのエピソードである。

一方で石原裕次郎との間には距離があった。だがある時、石原に対し「俺は渡哲也という男に憧れて石原プロに入りました。その渡さんは社長(石原裕次郎)の背中を見て生きてきました。俺は渡さんの背中しか見ていませんから、社長の背中は見えません。横に立って斜めから見ると2人の背中を見ることができますが、それでは社長の背中を見たことにはなりません。」という旨を面と向かって告白したところ、感銘を受けた石原が舘ひろしをいたく気に入り、それ以後はなにかにつけて可愛がるようになったという。

『西部警察』シリーズ終了後のドラマでは、バイク使いとしての積極的な登場は少なくなったものの、『あぶない刑事』シリーズでは、ハーレーなど大型バイクに乗りショットガンを構えるシーンがもはや舘ひろしの「十八番」となっており、還暦になった現在でも舘ひろしは、アクションぶりを時折見せる。ドラマでの役柄は所属する石原プロモーション制作のものを中心に、刑事役が圧倒的に多かったが、近年は時代劇やコミカルな現代劇にも多数出演するようになっており、役柄の幅を拡げている。

俳優を始めた頃は撮影所に対するイメージのギャップや、カメラの前に立つ事の違和感、嘘の世界である仕事に納得できなかった。ただ、物を作っていくという過程は楽しかったと舘ひろしは述べている。

刑事ドラマにおける銃の扱い方にはこだわりが強く、「西部警察」の頃は撮影が終わってから、プロップガンを借りて、自宅でプロっぽい仕草を練習していたと当時を語っている。さらに銃撃シーンで、右手で銃を構える際に左手を胸に添える形を取るが、「試行錯誤の末に最終的にこの形に落ち着いた」と語るが、あぶない刑事などの技斗を担当する高瀬将嗣によると、「添えた左手は『心臓の上をガードする』という意味」で、大変勉強になったと後に語っている。

1995年から1997年には、全日本F3000とフォーミュラ・ニッポンに参戦していた「NAVI CONNECTION Racing Team」の監督を務めた。「女の子を口説くつもりで(2ndドライバーを探しに)鈴鹿へ行ったのに、逆にマッチに口説かれた」と近藤真彦の全日本F3000デビューを舘ひろしが後押ししている。

2011年3月28日、舘ひろしは石原プロモーション取締役を辞任し、一所属俳優となる。

2012年40年来のヘビースモーカーだったが、禁煙のCMへの出演が契機となって禁煙に成功する。当時、舘ひろしの肺年齢は95歳と診断された。

舘ひろしの祖父が英国好きで、舘家にはミルクティーを飲む「ティータイム」があった。舘ひろし自身もその後英国好きになり、1996年8月、妻との結婚式は英国で行っている。舘ひろしの愛車はモーガンで、毎週の乗馬への往復時など自分で運転する時はモーガンに乗っている。また、仕事時など自分で運転しない時はジャガーに乗っている。どちらも英国製自動車である。






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【柴田恭兵】



【本名 】柴田 恭兵


【生年月日】1951年8月18日(64歳)
【出生地】静岡県静岡市清水区
【身長 】176 cm
【血液型】AB型
【職業 】俳優・歌手
【ジャンル】映画・テレビドラマ
【活動期間】1975年(24歳)~
【配偶者】あり

【主な作品】
*テレビドラマ
『大追跡』『俺たちは天使だ!』『赤い嵐』『プロハンター』『澪つくし』『あぶない刑事シリーズ 』『武田信玄』『勝手にしやがれヘイ!ブラザー』『はみだし刑事情熱系』『ハゲタカ』 『軍師官兵衛』

*映画
『チ・ン・ピ・ラ』『野蛮人のように』『道』『あぶない刑事シリーズ』『べっぴんの町』 / 『福沢諭吉』『![ai-ou]』『集団左遷』『半落ち』『ハゲタカ(映画版)』

【受賞】
*日本アカデミー賞
第10回 優秀助演男優賞 『野蛮人のように』『道』
第15回 優秀主演男優賞『福沢諭吉』『! (ai-ou)』
第18回 優秀主演男優賞『集団左遷』
第28回 優秀助演男優賞 『半落ち』

【その他の賞】
*エランドール賞
1980年(昭和55年)新人賞
*ベストドレッサー賞
1984年(昭和59年)芸能部門賞
*オリーブ映画祭
1992年(平成4年)オリーブ大賞
*高崎映画祭 最優秀助演男優賞
2005年(平成17年)『半落ち』



【柴田恭兵の経歴】



・清水市立第七中学校(現:静岡市立清水第七中学校)、 日本大学三島高等学校を経て日本大学経済学部卒業。サラリーマンを経て、1975年(昭和50年)に東京キッドブラザースに入団。舞台『十月は黄昏の国』でデビューし舞台で活躍。

・1977年(昭和52年)、『大都会 PARTII』でテレビ初出演。テレビ進出のきっかけを作った人物は、『蘇える金狼』などで松田優作作品を数多く手がけた村川透監督だった。

・1978年(昭和53年)、刑事ドラマ『大追跡』に滝本刑事役で出演。これが連続テレビドラマへの初レギュラー出演となる。

・1979年(昭和54年)、『赤い嵐』で連ドラ初主演。

・1986年(昭和61年)、『あぶない刑事』主演で大きくブレイク。以降も『はみだし刑事情熱系』シリーズなどをヒットさせるなど毎年のように連続ドラマの主演を務め、連ドラ主演数は20本を超える。

・2004年(平成16年)12月、20歳の次男を心臓発作で亡くす。気管支喘息の持病があり、死因は心臓発作によるものとされている。

・2005年(平成17年)2月5日に村川の故郷・山形県村山市で開催された『第1回村川透映画祭』にゲスト参加。

・2006年(平成18年)7月、初期の肺癌と診断され、摘出手術を受けた。8月中旬に退院し一時自宅療養後、12月にドラマ『ハゲタカ』の撮影で復帰。







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【浅野温子】





【本名】魚住 温子(うおずみ あつこ)
【生年月日】1961年3月4日(54歳)
【出生地】東京都
【血液型】A型
【職業】女優
【ジャンル】映画、テレビドラマ、舞台
【活動期間】1976年 (15歳)~
【配偶者】魚住勉 1983年 (22歳)~
【著名な家族】魚住優(NHKアナウンサー)

【主な作品】
『スローなブギにしてくれ』『あぶない刑事』『パパはニュースキャスター』『抱きしめたい!』『101回目のプロポーズ』『沙粧妙子-最後の事件-』『救急救命士・牧田さおりシリーズ』



【浅野温子の経歴】



・東京蒲田の蕎麦屋のひとり娘として生まれ、大田区立大森第八中学校から東京都立城南高等学校、東京都立代々木高等学校を経て、東京都立上野高等学校卒業。

・15歳のとき、山口百恵の主演映画『エデンの海』の山口のクラスメートの役のオーディションに合格し映画デビュー。

・1977年、TBSテレビ小説、『文子とはつ』のオーディションに合格。翌年、映画『高校大パニック』出演。また、『聖母観音大菩薩』では全裸シーンを披露した。

・1980年代には、『スローなブギにしてくれ』でもヌードを披露、さらに『汚れた英雄』などの角川映画にも出演した。

・1980年代後半に、『あぶない刑事』と『パパはニュースキャスター』にレギュラー出演。

・1988年に放送されたトレンディードラマ、『抱きしめたい!』(フジテレビ)放映時には、共演の浅野ゆう子と共に「W浅野」と呼ばれた。

・1991年に武田鉄矢とダブル主演した月9ドラマ、『101回目のプロポーズ』は、最高視聴率36.7%の高視聴率を記録した。

・1992~1996年まで、ドラマ版『サザエさん』でサザエを演じるなど、コメディエンヌとしても活躍した。

・2003年より、『古事記』を題材にした『日本神話への誘い』をスタートし、俳優業と平行して日本各地の神社を廻りながら、一人語りの舞台を開催する。

・2008年6月、「天皇陛下御即位20年奉祝委員会に参加し、祝辞を述べる。

・2010年10月期のテレビドラマ、『フリーター、家を買う。』に出演し、14年ぶりのフジテレビ系連続ドラマへの出演となる。

・國學院大學客員教授なども務めている。







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【仲村トオル】





【本名】中村 亨(なかむら とおる)
【生年月日】1965年9月5日(50歳)
【出生地】東京都大田区
【職業】俳優、タレント
【ジャンル】映画、テレビドラマ
【活動期間】1985年 (20歳)~
【配偶者】鷲尾いさ子

【主な作品】
『ビー・バップ・ハイスクール』『あぶない刑事』『アナザーフェイス』『推定有罪』『チーム・バチスタの栄光シリーズ』

【受賞】
日本アカデミー賞
第10回 新人賞『ビー・バップ・ハイスクール』


【中村トオルの経歴】



・東京都大田区に生まれ、0歳から3歳まで大阪府寝屋川市で、幼稚園に入る前に神奈川県川崎市に転居。小学校3年から千葉県流山市で育つ。

・専修大学松戸高等学校、専修大学文学部卒業。

・1985年専修大学文学部在学中に『ヤングマガジン』に連載されていた漫画『ビー・バップ・ハイスクール』の映画化に際し公募された主演オーディションに応募し合格。映画主演デビューでの芸能界入りとなった。原作者のきうちかずひろが「自分がおもい描く“中間徹”にイメージがピッタリ」と言ったこと。このオーディションは、「本物のツッパリの人もたくさん来ていて、僕みたいな普通の大学生みたいなのがいると目線が怖かったですよ、帰りに因縁つけられそうになったり」と後にラジオ番組で語っている。

・『ビー・バップ・ハイスクール』シリーズ、刑事ドラマ『あぶない刑事』と人気となった作品に立て続けに「トオル」役で出演したことで、若い世代にも顔と名前が浸透し、人気を得た。

・1987年から中高生に人気のあったニッポン放送のラジオ番組『ヤングパラダイス』内での帯番組を担当するようになると、その素顔が、朴訥と話をするシャイな人柄であることが判明した。その当時、主に出演していたドラマでは派手な言動を振る舞うことが多い人物を演ずることが多かったが、素顔はそれらとは正反対のキャラクターであることが判明した。そのため以前は不良に憧れを持つ少年ファンが多数だったのが、女性からのアイドル的な人気も上昇。人気のバロメーターでもあった雑誌『明星』の表紙を飾るようにもなった。

・1988年公開の映画『ラブ・ストーリーを君に』では主人公(後藤久美子)の元家庭教師(大学山岳部員)・明を演じた。

・妻は女優の鷲尾いさ子。1992年の自身の主演ドラマ『俺たちルーキーコップ』での相手役で、その共演が交際と結婚へのきっかけとなった。







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【ヒロイン役は菜々緒】



番組開始当時のヒロイン役といえば浅野温子であったが『あぶない刑事』シリーズ番組開始から30年経ちヒロイン役の浅野温子も30歳年をとり54歳のヒロインとなる。

あぶ刑事ファンには、浅野温子が何歳になろうが『関係ないね』なのだが、『さらばあぶない刑事』から『あぶない刑事』始める人のためのヒロインが菜々緒(27)に決まった。

菜々緒というとauCMの乙姫役やファブリーズのCMでお馴染みの少しキツい感じがする八頭身美人だ

(ファブリーズCM)

舘ひろし(65)柴田恭兵(64)に菜々緒(27)が、どう魅了するのか、されるのか、見所の1つになりそうだ。


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出典・Wikipedia








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