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三保の松原 飛行場は戦時中『神風特攻隊』育成のために造られた

三保の松原の三保園ホテル海側に清水灯台(通称三保の灯台)がある、その近くにこんな銅像が建っている。


(甲飛予科練の像)

この甲飛予科練の像は戦時中この近くに飛行場を造りそこで航空兵を育成していたことを後世に伝えるために建立された








(甲飛予科練の像と富士山)

今回はこの三保の飛行場は戦時中どんな飛行場だったのか調べてみたので簡単に解りやすく紹介しようと思う。



昭和19年9月1日清水海軍航空隊が三保の松原の一角を海軍航空隊の教育機関として飛行場を開いた

昭和19年9月というと終戦が昭和20年8月なので戦局は厳しくなっていた。神風特別攻撃が始まったのは、この年の10月からだ。


(神風特別攻撃)

厳しい戦局の中で甲飛予科練14期は全国で20000人の志願者を募り各教育飛行場が一杯になり三保の航空隊に奈良県や茨城県の航空隊から予科練生が転入してきた

昭和20年4月 最後の予科練生が入隊してきたが教育内容が水上・水中特別攻撃訓練に変更になった。この水上・水中特攻とは爆弾を潜水艦にした人間魚雷で人が操縦して敵に突っ込む『回天』というもの


(人間魚雷回天)



昭和20年6月 戦局の悪化から三保の教育機関は解散し、生徒達は全国各地の教育機関に振り分けられ終戦まで特別攻撃の訓練を受けた。
清水海軍航空隊三保飛行場は、戦局悪化によりわずか9ヶ月で解散した。

訓練内容は生き延びる為の飛行訓練ではなく死に向かう訓練だったと想像される。



三保の松原案内


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色々勉強になりますね!清水に行ってみたくなりました(^o^)

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